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城 名 |
所 在 地 |
主な城将 |
標高 |
備 考 |
赤坂山砦 |
阿賀野市草水字赤坂 |
草水左京亮 |
48 |
安田氏の臣 戊辰戦争の赤坂古戦場 |
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阿賀野川左岸より、砦跡を望む! |
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国土地理院・「陰影起伏図」で見る、「赤坂山砦跡」! |
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現地案内板 |
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良く見えないので、案内板を拡大してみました! |
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忠魂碑への入口 |
阿賀野川左岸より! |
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1974~78年頃の空中写真より見る、「赤坂山砦跡」付近! |
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阿賀野川右岸より |
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砦の空堀跡 |
お化け屋敷ではありません、砦跡です! |
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忠魂碑も良いが、藪退治もお願い! |
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【安田町史 中世編】より! |
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1961~69年頃の、空中写真! (この頃の国道49号は未だ整備されていない。旧・会津街道が利用されている。) |
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1947.9.24.(昭和22年)、米軍による空中写真で見る、「赤坂山砦跡」付近! (A地域は【安田町史】で説明されている地域であるが、B地域の雰囲気も要害跡の臭いがしないか?) |
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堀跡 |
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本城の草水城が、くすんで見える! |
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旧道入口 |
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特徴 藤戸川が阿賀野川本流に流れ込む右岸(現・国道49号線の南側)に戊辰戦争時の忠魂碑が祀られている丘と、その西側一帯に、安田氏の家臣・草水氏が守っていたと言われる赤坂山砦跡がある。 付近一帯は猛藪で、好き者でなければ足を踏み込まないだろう。しかし藪を透かして見れば西側から北側にかけて土塁を築き、その外部に堀を巡らせた重厚な要害である。阿賀野川寄りの土塁は阿賀野川の氾濫で崩れたのであろうか。阿賀野川を下って攻め寄せる会津・蘆名氏を警戒し、舟運を監視する砦でもあったのであろうか。 この地域は会津口から安田・水原方面や五泉方面へも抜ける重要な地域で、幕末の戊辰戦争でも激しい戦がここで行われたと伝えられている。 |
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